@article{oai:takushoku-u.repo.nii.ac.jp:02000152, author = {玉置, 充子 and Tamaki, Mitsuko}, issue = {9}, journal = {拓殖大学日本語教育研究, Journal of research in teaching Japanese language}, month = {Mar}, note = {戦後の台湾における日本語教育について,全面禁止から徐々に緩和に向かい,1960 年代に私立大学に日本語学科が設置されるに至った経緯や社会背景を考察した。 戦後の台湾では,中国大陸から移転した中華民国政府によって,戦前の日本統治時代に「国語」であった日本語の使用と教育が厳しく制限され,新たな「国語」である中国語の普及が図られた。1950 年代以降,日本との外交や経済関係が復活・進展するに伴って,日本語教育に対する制限は徐々に緩和され,1963 年から1972 年までに4 つの私立大学に日本語学科が設置された。この時期に日本語学科設置が認可された背景には,第一に台湾の経済成長のために日本語人材の需要が高まったことがある。それ以外の要因として,中国の共産党政権との対抗上,儒教に代表される伝統的中国文化の発揚を国策とした中華民国政府が,「東方文化」を共有すると見なす日本との「文化合作」を進めるため,日本語教育の部分的な解禁を容認した可能性が指摘できる。また,これら4 つの私立大学には,政府との強いパイプなど,設置が認可される相応の理由があったと考えられる。}, pages = {89--112}, title = {戦後台湾における日本語教育の「復活」 ―1960~70年代の日本語学科設置の背景}, year = {2024}, yomi = {タマキ, ミツコ} }