@article{oai:takushoku-u.repo.nii.ac.jp:02000156, author = {丹羽, 文生 and Niwa, Fumio}, journal = {拓殖大学政治行政研究, The journal of politics and administration}, month = {Mar}, note = {「衆議院のカーボンコピー」,あるいは「政局の府」と揶揄される参議院だが,それでも,これまで幾度となく自己改革に取り組んできたことも事実である。その嚆矢となったのが,1971年7月,後に参議院議長となる河野謙三が,「良識の府」としての参議院の権威と信頼を回復すべく,「選挙を終わって」と題する書簡,所謂「河野書簡」を全参議院議員に送ったことにあった。書簡の中で河野は,「失われた,ないしは失われつつある参議院への信頼を取戻し,参議院本来の使命を果すために,この際,心を新たにして一層の努力と工夫を重ねなければならない」として,参議院の自主性と独自性の確保を訴えた。筆者は,河野の次男である剛雄(2022 年12 月9 日逝去)と,その妻である顕子(2022 年10 月11 日逝去)と親交があったことから,夫妻の没後,遺族より河野の遺した大量の資料を譲り受けた。その1 つが「河野書簡」で,河野が議長退任時に書いた直筆の挨拶原稿と一緒にクリアファイルに入ってあった。本稿は,これらを翻刻し,解説を附して紹介するものである。}, pages = {23--31}, title = {「河野書簡」と参議院改革}, volume = {15}, year = {2024}, yomi = {ニワ, フミオ} }