@article{oai:takushoku-u.repo.nii.ac.jp:00000230, author = {モロジャコフ, ワシ―リー and Molodiakov, Vassili}, journal = {拓殖大学台湾研究, Journal of Taiwan studies, Takushoku University}, month = {Mar}, note = {台湾を開拓・開発する日本の政策は,その初期から,日本国内及び海外(特に欧州)の分析官が注意深く調査・検討していたテーマであった。当時,植民政策,植民地の開拓・開発は,「野蛮人〔当時の表現でアジア・アフリカの原住民〕と野蛮地〔当時の表現でアジア・アフリカの大部分の地域〕を文明化する運命」と見られて,キリスト教・「白人」の国家だけが可能な事業と考えられていた。キリスト教・「白人」の国家でない日本が植民政策を実施するという試みは,近代史上初めてのこととして世界の関心を集めた。キリスト教・「白人」ではない国家・民族が,他のキリスト教・「白人」ではない民族(原住民)を「文明化」できるかのかどうかと。 台湾が日本の植民地になった頃には,「白人」の欧米世界では植民政策の内容と方法,その成否の基準ははっきりと理解されていた。日本政府,政治エリートから見れば,台湾における植民政策の「成功」は,経済的,軍事的利益ばかりでなく,世界における日本のイメージ構築にとって非常に重要であった。しかし,台湾からの現地情報,特に日本植民政策の成功に関する情報は,ほとんど全て日本発だったので,かえって欧米読者の疑念を深める結果になった。 フランス人ジャーナリストのレジナルド・カン(Réginald Kann;1876~1925 年)は, 日露戦争中,日本陸軍駐在特派員であった。1906 年夏にフランスの植民地省,海軍省,参謀本部第2 課(情報機関)の命令で出張分析官として,情報収集のため台湾を訪問し,帰国後,内部資料として『フォルモサ報告』を執筆した。この未公刊資料は2001 年にフランス語の原文と中国語訳が台北で刊行された。本論文の目的はこのレジナルド・カン著『フォルモサ報告』の内容と結論を詳しく紹介することにある。}, pages = {111--122}, title = {フランス分析官レジナールド・カンとその『フォルモサ報告』}, volume = {3}, year = {2019} }