@article{oai:takushoku-u.repo.nii.ac.jp:00000257, author = {髙野, 要 and Takano, Kaname}, journal = {拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究, The journal of humanities and sciences}, month = {Mar}, note = {イングランドの北東岸に位置する海港都市キングストン・アポン・ハルの商人家系として知られるド・ラ・ポール家は,14-15世紀に莫大な財力と名声を背景に繁栄した家系である。彼らは中世後期のイングランドにおける羊毛貿易で富を獲得した大商人の一家であり,羊毛で得た資金がもたらす財源を介して,国王への財政融資により貴族階層に加わり,社会的昇進を果たす存在となった。この両者を結びつけた接点は,西部フランス領およびフランス王位の継承獲得を目指す国王側の要求と,貴族層への昇格で財力を超える名誉を求めた商人側の利害がもたらした共生関係である。本論においてはこの一家の中から輩出された兄弟たちの中でも,とりわけ傑出した人物であるウィリアム・ド・ラ・ポール(William de la Pole 1290-1295頃-1366年)を中心に議論を進めていく。 積み上げた財力を背景に金融業で頭角を表す「銀行家」(banker)となったウィリアムは,1272年から1322年の間に継続的にイングランド王室に財政支援をしていたイタリアの商人たちに太刀打ちできるイングランド最初の「王室銀行家」(King’s Banker)となった。彼は商人仲間と共にシンジケート(syndicate)を結成し,1339年には財務府長官(baron of the exchequer)の地位にまで社会的昇格を果たす。その彼も,1340年には王室政府の政治争議に巻き込まれ,他の金融業者と共に逮捕・投獄された。 本論は百年戦争開戦にあたり,イングランド国王エドワード3世とウィリアム・ド・ラ・ポールとの間に繰り広げられる戦費財源獲得をめぐる駆け引きを見ることで,中世後期イングランド社会の歴史的転換を知る一助としたいと願うものである。}, pages = {80--101}, title = {キングストン・アポン・ハルのウィリアム・ド・ラ・ポール ―戦争財源の調達で王室銀行家に昇りつめた商人の栄光と転落―}, volume = {39}, year = {2018}, yomi = {タカノ, カナメ} }