@article{oai:takushoku-u.repo.nii.ac.jp:00000387, author = {村上, 祐紀 and Murakami, Yuki}, journal = {拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究, The journal of humanities and sciences}, month = {Mar}, note = {本稿は、普及福音教会を通して明治期日本に伝えられたドイツ・プロテスタント神学に対する森鷗外及び同時代の関心内容を検討し、森鷗外「鎚一下」に対して新たな読みを試みたものである。「鎚一下」を第四作目とする「五条秀麿もの」には、世紀末ドイツを体験した青年として造型された五条秀麿という華族の子息の思考過程が描かれている。歴史を描くことに対して秀麿が持つ「神話と歴史との限界をはつきりさせずには手が著けられない」という認識は、同時代に広く共有されているものであった。普及福音教会は批評学的な立場に基づいており、科学と信仰の問題に合理的な解釈を与え得る可能性を持っていた。作中で秀麿はプロテスタント神学に対する正確な認識を持っており、そうした状況を普及福音教会に改宗したお雇い外国人ルートヴィヒ・リース、普及福音教会牧師であり、神話研究やレッシングへの関心から鷗外と交わりを持った赤司繁太郎の認識を手掛かりに、秀麿の停滞した立場について論じた。そのうえで、「鎚一下」におけるキリスト教者H君への礼讃は、現実に行動し続けるH君の宗教家としての行為そのものに向けられていると解釈できることを示した。}, pages = {136--150}, title = {普及福音教会と森鷗外「鎚一下」}, volume = {43}, year = {2020}, yomi = {ムラカミ, ユキ} }