@article{oai:takushoku-u.repo.nii.ac.jp:00000398, author = {浜口, 裕子 and Hamaguchi, Yuko}, issue = {1}, journal = {拓殖大学論集. 政治・経済・法律研究, The review of Takushoku University : Politics, economics and law}, month = {Oct}, note = {日露戦争後の中国東北地方(いわゆる「満洲」)から日本へ来た留学生を分析する。多くは官費留学生で,中国側の要請により大部分は軍事関係の学校に留学した。対日留学生が人数的にピークを迎えるのは1906年から1908年の日露戦争直後であるが,この時期の特に日本と関係が深かった満洲からの留学生を中心に,その後の歴史的動向を人脈に注目して検討した。 日本側は陸軍士官学校に留学させる前にその予備校的役割を果たす振武学校に中国人留学生を入れた。本稿では振武学校設立の経緯に触れ,特に日露戦争直後にここに入った中国東北地方出身者の動向を探った。彼等は日露戦争後の日本軍の影響下で留学をして,陸士まで進み,卒業後帰国してすぐに辛亥革命に対応し,その後も中国で軍歴を積んでいく。その政治的選択は留学経験と切り離して考えることはできない。東北出身者の場合,特に1931年9月の満洲事変,翌年の満洲国建国という国際関係の変動の中で,どのような選択を行っていったのか――日本留学組は満洲国に残って一定の地位を得ていく者が圧倒的に多かった。事変前,各国がこぞって中国に影響力を及ぼそうとした時代において留学組はいわば期待のエリートであった。しかし留学歴のない張学良との関係は難しく,それが楊宇霆暗殺事件の背後にある。張学良による苛烈な反日行動は東北社会の政治的分裂を促し,明らかに日本留学組の選択肢を狭めたといえる。東北出身者以外の留学生のその後の経歴を見ても,留学中に構築した人脈等の重要性がみてとれる。その意味で留学生は東アジアの歴史を形作った重要な要素であるといえよう。}, pages = {1--27}, title = {日露戦争直後の中国人留学生 ―振武学校8期生東北出身者の動向を中心として―}, volume = {23}, year = {2020}, yomi = {ハマグチ, ユウコ} }