@article{oai:takushoku-u.repo.nii.ac.jp:00000436, author = {玉置, 充子 and Tamaki, Mitsuko}, journal = {拓殖大学日本語教育研究, Journal of research in teaching Japanese language}, month = {Mar}, note = {日本統治期の台湾において「国語」は日本語であり,その普及は日本語教育史の一頁に位置付けられる。1943年まで台湾人に対する義務教育が施行されなかったため,台湾人児童の就学率は一貫して低く,国語普及率も1930年代まで20%台に止まっていた。この状況を打開すべく,地域(街庄)の社会教育施設として「国語講習所」が設置された結果,国語普及率は80%にまで上昇した。 国語講習所が日本統治期の台湾の日本語普及に果たした役割は先行研究で明らかになっているが,これに先立ち1920年代に実施されていた「国語練習会」等の国語普及事業は,資料の制約もあって研究が進んでいない。そこで本稿では,台北州海山郡鶯歌庄の役場で作成された地方行政文書「鶯歌庄文書」を利用し,1920年代の同庄における国語練習会の運営実態等を考察した。 国語練習会は,街庄の上級機関である郡の監督の下,台湾人地方エリート層が主導する教化団体「同風会」が実施した主要事業の一つであった。予定通り実施されないことも多く,実施されても年50 時間に満たなかったため,期待されたような効果が上がったとは言い難いものの,国語講習所制度につながる地域社会の実践として,日本統治期の台湾の日本語普及に一定の役割を果たしたことが示唆された。}, pages = {103--130}, title = {日本統治期の台湾の「国語」普及と教化団体 ―1920年代の台北州鶯歌庄を例として―}, volume = {6}, year = {2021}, yomi = {タマキ, ミツコ} }